※1983年から書き始め,1985年に出版された著書『来たるべきアクエリアスの時代』の未来予測の部分(ほとんどそのまま)です。今だからこそ読むと大した予測でないと思われる部分もあるかもしれませんが,パソコンも普及せずもちろんインターネットもなかった執筆時のことを鑑みて下さい。今後の2000年間に関わるこれらの“予測”が,自分の予想以上に早く実現していることに驚いています。

 家庭にも入るロボット社会も,“ホンダ技研”のロボット開発の進展をみると,あと10〜20年以内に実現するでしょう。予測の表現はかなり柔らかくしたつもりですが,荒唐無稽と思われる予測の部分も,現在でもかなりの確信をもっております。ご参照下さい。(瀬尾泰範)
(抜粋)2章の10.来たるべき「水がめ座の時代」  ⇒amazon 紹介頁へ

 現代の世界情勢,社会の変化,人々の関心は新しい時代の到来を告げている。
 そのいくつかの事例については,既に紹介させて頂いた。その際,近い将来の姿も私なりに描いてみた。まだこれ以外の事例もあるが,「水がめ座の時代」のおおよその輪郭についてはつかんで頂けたのではないだろうか。

 しかし,前に述べたように「水がめ座の時代」と言っても二千年以上の期間がある。その初期と末期の世界を比べれば想像を超える違いがあるはずだ。したがって「水がめ座の時代」全体を通した予測は難しいが,「水がめ座の時代」にはこれまでの時代と比べてどのように大きな変化があるのか,また新たにどういうことが起こるのかについて,改めて私の想像できる範囲で紹介してみたい。

 一言で言えば,人類は数百万年の進化を経てこの時代に初めて“大人”としての「高等人類」に到達するということである。
 これまでの人類は精神進化においてはまだ「予供の時代」であって,多くの試行錯誤を繰り返してきた。「毛虫」の時代を経て現在「さなぎ」の時代を過ごしている人類は,「水がめ座の時代」に一挙に美しい「蝶」に生まれ変わるであろう。それは,見えない次元から来る「水がめ座」のバイブレーションが人類一人一人の意識の底に影響を与えて価値観の大いなる変動が起こり,今台頭しつつある精神科学の進歩が「心の進化」を促すことになるからである。

 「水がめ座の時代」の人間には,明確な行動規範がある。それは,今までの法律,道徳律,宗教戒律のような人為的なものではない。自分を知り,人間を知り,宇宙を知るところから生まれてくるものである。それは「宇宙法則」と呼んでもよかろう。
 科学によって立証された「自然法則」と,「精神(生命)法則」から成るものである。前に述べたように,人間は「自然法則」に従うのと同じように,「精神法則」にも従うようになる。

 その結果,個人は無益な争いのない充実した人生を歩むようになり,社会は安定かつ活性化し,国どうしの戦争もなくなるだろう。この時代に,古代から多くの哲学者,思想家,社会改革者の夢見た理想的な社会が出現する。と言っても,それはおもしろくもおかしくもない単なる“静止したユートピア”ではない。
 なぜなら「みずがめ座」の波動はコミュニケーション,知性,個性,独創性,友好性を重視する波動であるからだ。

 すべての人間が,その個性,素質,才能を十分生かしながら,社会に貢献できるようになるであろう。
 単純作業,危険な仕事,人間に向かない仕事はすべてロボットがするようになり,人間は頭を使う創造的な仕事や手や体を使い心をこめてする創作的な仕事に携わるようになる。
 音楽や美術や文学などの芸術分野にも,非常に多くの人が参加するようになるのではないか。なぜなら,芸術教育が充実するだけでなく,人々の「美」に対する感覚が自然に鋭くなるからだ。
 科学は益々発達し,宇宙と生命の驚くべき秘密を次々に明らかにしていく。それらの知識はすぐに人々に伝えられ吸収される。実用化も速い。
 実用的な技術は純粋科学と歩調を合わせて発達し,やがて,UFOの推進に使われているような(宇宙に遍満していると思われる)エネルギーが,人類にとって利用可能になる日も遠くはないだろう。しかし,それまでは,太陽や風や波や水や地熱などクリーンな自然エネルギーの利用が進むと思われる。

 人類の活動範囲は,地球上の瞬時の旅行はもちろんのこと,宇宙母船や円盤によって太陽系から外宇宙まで伸びて行き,他の恒星系高等生物とも遠からず交流することになるかもしれない。
 資源は,地球の海洋資源の開発はもちろんのこと,二十一世紀中には月や太陽系の他の惑星からも貴重なものが採取されるだろう。そしてもっと未来には,先に述べたように,銀河系の他の垣星系,さらには銀河系を飛び出して他の島宇宙(銀河)の科学的調査探究が行われるであろう。現代から考えると夢のような話だが,それまでに人類が滅びない限り,こういう時代が来ることは間違いない。

 使われた資源に対しては,リサイクルのシステムが完全に整備され,無駄な乱開発や自然破壊は起こらなくなる。
 二十一世紀には,バイオテクノロジーの成果により,食糧は少ない面積で大量に栄養価の高いものが生産されるようになり,多くの人口を十分支えることが可能となるのではないか。

 食事もロボットの発達により,多彩でおいしい料理が家庭においても提供されるようになるだろう。もちろん,心のこもった手料理は残る。
 医学も含めた人間科学は,生命機構と目に見えない次元のつながりを探求するようになり,その成果の積み重ねによって誰もが大病もなく健康的な生活が送れるようになる。
 医療検査機器の発達によって,生体が病気として器質的変化を起こす前の機能的変化の段階で異変を捉えられ,病気の芽の出る前に早期治療が行われるようになる。それには,針灸や漢方などの東洋医学が大きな役割を果たすであろう。
 医者はすべて人間の精神と魂についての専門家となり,病気の元を作る心理的原因を見抜き,それを取り除く治療も増えるでろう。こうして医学は予防医学が主体となり,ほとんどの人が百歳位の天寿を全うするようになるのではないか。

 都市は豊富な緑や空間を背景にして,最先端の素材と技術を駆使し,人間の生活に最適の環境となる。宇宙ステーションなどの宇宙都市も建設され,そこではやはり地球の自然環境ができるだけ取り入れられる。  最小の社会集団である「家族」の形態は,ロボットがその一員となる以外は,今とそれほど変わらないのではないか。

 ただ,精神的に成熟した者どうしの結婚により,今よりずっと夫婦の関係は調和したものとなり,両者がそれぞれ社会的な仕事を持って自己実現をはかる。離婚はまれに,お互いの精神的成長が違った方向に行ってずれが起こったとき,穏やかに行われるかもしれない。

 子供の教育は,精神の成長に合わせて最適の時期に最適のものが与えられるようになる。それは,子供の思考カと創造カを伸ばす主体的な学習形態が主になるであろう。
 子供の内面に隠された特別の才能を発見するシステムが確立し,その面を伸ばす教育が行われていく。頭脳開発の目的も兼ねた語学教育は,革命的な技法が生まれるかもしれない。それによってすべての人が十代で数ヵ国の外国語を自由に操れるようになるのではないか。

 大学などの高等教育機関は一般に開放され,意欲と能カのある者は何才になっても新しい知識を享受できるようになり,生涯教育が普及するであろう。
 政治家の選出は,今の投票制度がいつまで続くかわからないが,国民の選択基準は金力権カではなく,人格と国民への奉仕精神の強さ,実行カということになる。また選ばれた政治家も,国民からエゴイスティックな要求が出ることはないので,矛盾なく公平で建設的な政治が行えるようになろう。
 経済は,当分自由競争は残されるが,消費者の多くが本物を見抜く眼を持つようになり,メーヵーは社会的使命を第一に本当によいものを提供するようになるであろう。

 さらに,現在のカード時代が発展して,二十一世紀には貨幣はなくなり,すべて労働と物資とサービスの交換は情報の流れだけになるかもしれない。
 様々な情報は,光ケ−ブルや通信衛星を使って即座に相手に伝えられ,欲しい情報はすぐ手に入る。近い将来,新聞や郵便の一部は家庭にあるファックスが受けるようになるであろう。立体テレビの普及により在宅ショッピングは普通となり,書類作成などの在宅労働は主婦を含めて多くの人が従事するようになる。

 すべての人がどこにも携帯できる個人電話を持てるようなるが,これは時と場合に応じて受信の相手を特定する装置がついているので,プライバシーを守ることができる。もちろん,携帯しない自由もあるだろう。
 未来の交通手段はいくつか考えられる。

 いわゆる「道路」の下には特別な架線が埋設され,未来の「車」はそれに沿って走ることによって,車の衝突防止装置の働きもあり事故は非常に少なくなる。さらに,車の自動航行装置に目的地までのデータをインプットすれば,眠っていても目的地に着いてしまう時代が来るだろう。また,遠隔地や外国に出かけるときなど,小型円盤を使えば,瞬時に目的地に着くことができるようになる。

 こうして通信や交通手段のすばらしい発達により,地球全体が文字どうり昔の一つの村のような親密な社会となることだろう。
 だが一方,今人気のある自転車は,スポーツや健康のため,また気軽な「足」として,将来ずっと残るのではないか。
 機械やロボットの発達で,すべての農産物や工業製品は全国民の健全な欲求に足るだけのものが作られるようになり,そうでない時代にあった異常な物質欲は精神の進化とともに徐々になくなってくる。

 それに対して,人間の手のぬくもりが感じられるような心のこもった創作物やサービスの価値が非常に高くなる。それが,人間の創造や心の交流に対する喜びを益々高めることになるであろう。

 このように書いてくると,何か「水がめ座の時代」が,誰も悩みや苦労を持たない「天国」のような時代だと思われるかもしれないが,事実はそうではないだろう。
 もちろん,「精神革命」を通ってきた人々が,自分のエゴイスティックな言動に対する反動の苦しみや,大いなる怠漫の結果から来る後悔を味わうことはないと思うが,家庭の中で,また社会的使命のため,ときには自分を犠牲にしなければならないときもあるはずである。

 さらに,将来自分の素質や才能を最大限発揮できるようになるため,教育や技術の修得で自分を鍛えることは今以上に重視されるであろう。何か新しいもの,価値あるものを創り出そうとするときの「生みの苦しみ」は,時代がいくら変わろうとも永遠に存在するものだ。

 しかし,「水がめ座の時代」に生きる人々は,そういう苦しみを進んで求めるようになると思われる。
 「水がめ座の時代」の初期に,世界の国々はそれぞれの個性と役割を持ちながら,お互いに依存し合い一つにまとまって,割合近い将来「世界連邦」が成立するであろう。国と国との間のあらゆる間題は,お互いが「大人」の意識で相手の立場も考えて,すべて話し合いで見事に解決される。人類全体の向かうべき目標も,「世界連邦」で討議され決定されるであろう。

 ここにおいて,地球人類は一つの種として,統一と調和を達成することになる。
 「水がめ座の時代」の中期あるいは後期には,地球は銀河系の各惑星の高等人類の結束による「宇宙連邦」に加入するであろう。そのとき初めて,地球人も宇宙の指導的な高等生物の一員となるのだ。その結果,他の惑星の進化途上で危機にある惑星人の手助けを陰ながら行うようになるだろう。

 その頃地球では,自分自身が過去の時代に行って歴史をも変える可能性のある「タイムマシン」は無理としても(?),どの過去の時代でも自由にのぞける装置が完成しているかもしれない。
 未来の人間が,その装置を使って二十世紀末の現在の地球を見たらどう思うであろうか。
 「何と昔の人類は精神的に幼かったか。それにしても,種の全滅もあり得た危険な時代をよくぞ乗り越えてここまで来たものだ」と感慨深く思うに違いない。我々は今後,それを実行して行かなければならない。     以上。

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